阪神タイガースブログ ラテンアメリカの虎

ラテンアメリカ某国在住、虎キチ歴35年。梅雨時期には来年のことを考え始める癖が抜けない弱気な阪神ファンのブログです

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ラ米のトラ的-阪神タイガース選手名鑑2018 (首脳陣編)

①投打 ②身長/体重 ③2018年満年齢 ④入団年 ⑤年数 ⑥経歴 ⑦通算成績

#6 金本知憲

①右左 ②180cm/88kg ③50歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥広陵-東北福祉大-広島東洋カープ-阪神タイガース ⑦2578試合 打率:.285 / 本塁打:476 / 打点:1521 / 盗塁:167 / OPS:.885

いわずと知れた球界の鉄人、アニキ→ヤニキ→ヤネキ。日本記録二位の1,766連続試合出場、世界記録の904試合連続フルイニング出場の記録保持者。本人としてはこれらの記録よりも連続打席無併殺打記録を誇りに思っている。

1991年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団当初は線が細く、外野守備も地面に向かって投げてしまう悪癖から「モグラ殺し」のあだ名をつけられるなど、コーチからも足を生かした短距離打者への道を進められていたが、徹底した筋トレで体作りを行い、5ツールプレーヤーへの道を歩み始める。2000年にはトリプルスリーを達成し球界を代表する外野手へと成長、2002オフ半ば星野組長に脅されるような形で阪神にF/A移籍。

2003年は3番打者としてフルイニング出場し、二番赤星の盗塁をサポートする為にチームバッティングに徹し、成績こそ平凡だったが18年振りのリーグ優勝に貢献する。日本シリーズにおいてもサヨナラホームラン含む4本塁打と大活躍したが、日本一には届かなかった。

2004年からは岡田監督の方針で4番打者として起用され、翌2005年には金本-今岡のコンビで大量の打点を稼ぎ、チームを二年振りの優勝に導きMVPを獲得。その後も阪神の不動の四番打者として君臨するが、2010年に悲劇が起きる。キャンプ中に若手外野手と接触し、右肩の棘上筋部分断裂という重傷を負ってしまう。それでも出場を続けていたが、外野からまともな送球をできる状態になく、ついに連続フルイニング出場が途絶えてしまう

その後も代打も含め連続試合出場は続けていたが、翌年の2011年に代打で打席に立った際に、一塁走者が盗塁失敗しその後交代したことから、連続試合出場記録も途絶えてしまい、打撃にも衰えが見えたことから2012年に引退。

引退後は解説者を務めていたが、2005年以来優勝から遠ざかっており、F/Aや大リーグ帰りの選手に頼り若手が全く育たない硬直したチーム状況を打開すべく、白羽の矢が当たる。それまで指導者経験がなかったため、いきなりの一軍監督就任は固辞していたが、1/2年目が最下位になったとしても長期ビジョンで立て直してほしい」というフロントの説得により、監督就任要請を受諾。

甲子園を本拠地とする阪神においては、守備と投手からの整備が常套手段だが、生え抜きの主軸が長い間出ていない現状を鑑み主軸となる野手を育てるところから着手する。これはドラフト戦略にも現れており、2015年高山、2016年大山、当たりはしなかったが2017年清宮/安田と育ちにくい主軸候補を上位で指名し、采配においても、主軸となるポテンシャルのある北條・高山・原口・中谷・大山・江越・陽川・板山などを積極起用し、徐々に芽を出し始めつつある。一方で、長打を求めるばかり鳥谷の打撃を崩したり、体力強化を義務化し筋肉をつけすぎた北條・高山・原口が不振に陥ったりと、野手育成に自分の経験を当てはめるのはいいが、片岡コーチとともに軸回転の強いスイングにこだわりすぎ指導方針の柔軟性に欠ける面も見られた。

投手に関しては慧眼があり、自分が打ちにくかった、打ちにくそうという理由で、青柳の指名、前年一軍未登板の桑原を起用をするなど、投手コーチやスカウトをやってもらったほうがいいんじゃないかというくらい見る目がある。

采配面に関しては、就任初年度はマテオを序盤から3イニング跨ぎさせたり、藤浪を懲罰で150球も投げさせたりと、特に継投策を中心に疑問が残る采配が多かったが、二年目になりコーチ陣とともにそれも改善しつつある

1年目はなんでもかんでも若手を試し、全く安定しない戦いぶりではあったが、長期ビジョンでチーム作りを任された外様の金本監督だからできた采配であり、その効果は徐々に芽を出しつつある。また生え抜きOBが就任していたら実績のある選手や外国人の復調を待つだけで、いつまで経っても若い選手は出てこずF/Aと外国人に頼りきりの体制から抜け出せていなかっただろう。

阪神という球団はいつまでたってもフロントやOBの声が大きい昭和体質の球団で、過去のOB監督だとそれらの声に忖度してると思われても仕方のない選手起用や采配も多く、野村監督、星野監督といい、実績十分の外様の人材じゃないと環境は変えられないのは、日本企業の悪しき文化を象徴しているように思える。DeNA、ソフトバンク、楽天等、比較的新興企業のフロントが最新のアイデアをどんどん取り入れ上位進出しているように、チーム作りを金本監督に全権委任したのは過渡期における英断だったと評価するが、いずれはフロントにも時代の志士のような人物に出てきてほしいものである。

3年目の今年はそろそろ勝負の年となるが、中継ぎ以外はレギュラー陣が固まっておらず流動的な采配が続くことが予想される。若手選手も力をつけ始めてきており安定した実力の中堅・ベテランと、爆発するポテンシャルをもつ若手をいかにうまく起用するかが浮沈を握っており、難しいチームでの難しい采配となるが、オフには13年振りの美酒を味合わせてほしい。

移籍当初は「アニキ」の愛称で親しまれたが実は4人兄弟の末っ子。その愛称もベンチ裏でタバコをふかしていたことから「ヤニキ」、そして監督就任後はインタビュー時に「~だわね」「~よね」と字面をとるとオネエ言葉にも聞こえる発言をするため「ヤネキ」と、ネット上ではありがたくない方向にあだ名が改変されている。

 

#80 片岡篤史

①右左 ②188cm/92kg ③49歳 ④2016年 ⑤延べ4年 ⑥PL学園-同志社-日本ハムファイターズ-阪神タイガース ⑦1569試合 打率:.270 / 本塁打:164 / 打点:717 / 盗塁:35 / OPS:.789

実家は檜風呂ヘッドコーチ兼打撃コーチ。1991年ドラフト二位で日ハムに入団すると、広角に打てる巧みな打撃、選球眼と堅実な三塁守備で一年目から活躍、90年代日ハムビック版打線の中軸を担う。

2001年オフにはF/A宣言し、足尾銅山鉱毒事件の田中正造かのようにファンに土下座で阪神移籍を陳情され、阪神への移籍を決意。クリーンアップとしての活躍が期待されたが移籍1年目はセ・リーグの配球に苦しみ.228に終わり、山沖、石嶺、星野と結果を残せなかったF/A移籍選手の仲間入りを果たし、阪神にF/A移籍するのはもう落ち目の選手ばかり、いい選手は全部巨人に持ってかれちゃうんだなと、何度も思い知らされた暗黒時代の闇の深さを再度思い知らされる結果となった(涙)。

移籍二年目の2003年は金本の加入や浜中の成長に伴いマークが薄くなったことと、セ・リーグの配球にも慣れ、主に6番三塁で出場し規定打席には届かなかったものの打率.29612本塁打、55打点と優勝に大きく貢献した。その後は衰えによる不振及び、今岡の三塁コンバート、関本の台頭などにより出場機会は激減し代打での起用がメインとなる。2005年は代打で6打席連続安打を放つなど2年振りの優勝にまあまあ貢献、2006年に体力の限界もあり引退する。代打の切り札と呼べるほどの結果は残しておらず、判で押したような岡田監督の采配で何度も終盤のチャンスに出てきては凡退し、出てくるたびに次の打者のことを考えるのが癖になってしまっていた(涙)。

現役引退後は解説者を経て、2010年に一軍打撃コーチとして復帰。同年はラビットボールだったことに加え、マートン-平野-鳥谷-新井-ブラゼル-城島-金本という超重量打線だったもあり、チーム打率.289の球団記録を達成。しかしながら、2011年からくそ加藤球の低反発球が採用されると、懐に呼び込んで打つタイプのホームラン打者は軒並み成績を落とし、チーム打率はリーグ4位、本塁打は最下位と低迷し、責任をとって辞任した。加藤球の影響で小笠原、岩村、小久保などの長距離打者が軒並み成績を落とし、引退にまで追い込まれる遠因となり、その罪は重い。

2016年は野球観が似ているという金本監督のたっての願いで、4年ぶりに現場復帰、一軍打撃コーチを務める。大山のクリーンアップ起用の進言など、金本監督が「片岡コーチの助言です」とする場面も多く、選手の調子の見極めに関しては見る目があるのかもしれないが、打撃指導や試合中の相手投手対策に関しては正直疑問。他の方のブログにても語られているが、2014年以降の統一球はトップを深く取り大きく振るよりもコンパクトに芯に当て振りぬくことが重要であり、若手長距離打者候補に大きく軸回転で遠くに飛ばす指導をしているさまを見ると、統一球対策ができていないのではないかと素人ながら感じてしまう。特に高山の去年のバッティングフォームが晩年の片岡のようになってしまっているように見えるのは自分だけだろうか。

今シーズンからは打撃コーチに加えヘッドコーチの役割も果たすが、打撃指導で結果がでないようであれば、新たに打撃コーチを招聘し、金本監督も信頼をおいているヘッドコーチの役割に集中してほしく思う。

2003年ファンファーレの「右投げ左打ち、実家は檜風呂、リフォーム、リフォーム、片岡篤史」は球場を大いに盛り上げたが、実は実家は檜風呂ではないらしく、本人の「打席で気になるので止めてほしい」と直訴により廃止となった。毎日数万人にプライベートな風呂に関して歌われるのは、世界広しといえど片岡くらいであり、打席で集中できなくなる気持ちもわかるが、廃止以降成績がガタ落ちしたことから、続けていたほうがよかったのかもしれない。

 

#70 高代延博

①右右 ②170cm/73kg ③64歳 ④2014年 ⑤4年 ⑥智弁学園-法政大-東芝-日本ハムファイターズ-広島カープ ⑦917試合 打率:.256 / 本塁打:57 / 打点:346 / 盗塁:54 / OPS:.680

トラの信号機作戦兼総合コーチ。1978年ドラフト1位で入団すると、一年目から遊撃手のレギュラーに定着し、堅実な守備で1980年にはゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞。田中幸雄の台頭により出番が減ると、広島カープに移籍し、1989年に引退。

引退後は、広島→中日→日ハム→ロッテ→韓国ハンファ→オリックスと渡り鳥のように主に内野守備走塁コーチとして数々の球団を経験し、第二回WBCでは日本代表の三塁ベースコーチを担当し、日本代表の連覇に貢献。2014年から阪神に移籍し、内野守備走塁コーチ及び三塁ベースコーチに就任。

現役時代はあまり知らないのだが、三塁ベースコーチとしての打球への判断に定評があり、ノムさんをして日本一の三塁ベースコーチと言わしめる。金本監督からも広島時代に守備走塁を根気よく教えてくれたコーチとして、「自分に大きな影響を与えてくれた指導者の3人」のうちの1人に数えられる。

それまで阪神の三塁ベースコーチといえば、山脇や吉竹など「壊れた信号機」と揶揄される判断の悪いコーチが多く、何度も得点のチャンスを潰すシーンを見てきたが、高代コーチの判断は正確そのもの。直接得点に結びつくポジションだけに、同コーチの存在は大きい。

非常に大きな貢献をしてくれている高代コーチなのだがもう64歳になる。久慈でも藤本でも中村豊でもよいが、ぜひそのノウハウを引き継いでほしいし、フロントとしても指導者の世代交代も計画性をもって進めてほしい

スターウォーズのイウォークのような風貌と、オーバーリアクションの走塁指示は微笑ましいレベルでもあり、正確な走塁指示とともにファンからの信頼は非常に厚い。

 

#78 平田勝男

①右右 ②177cm/78kg ③58歳 ④2013年 ⑤延べ18年 ⑥海星-明治大-阪神タイガース ⑦979試合 打率:.258 / 本塁打:23 / 打点:220 / 盗塁:19 / OPS:.635

ミッキーチーフ兼守備走塁コーチ。1981年ドラフト2位で入団。二年目の後半から遊撃手としてレギュラー定着すると、80年代阪神の不動の遊撃手として1985年には21年振りのリーグ優勝及び初の日本一に貢献。足こそなかったものの、堅実な遊撃守備で1984年から87年までダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を受賞し、守備の名手として名を連ねた。

引退後は2年間の評論家活動をしていたが、1997年にコーチとして現場復帰。2002年には明大の先輩である星野監督の専属広報及び運転手として就任。当時の首脳陣は田淵・達川・佐藤義・西本・岡田・和田、等々誰が監督をやってもおかしくない豪華メンバーだったので、コーチングスタッフからは外れたものの、面倒見のよい星野監督の粋な計らいだったのかもしれない。それにしても運転手って・・・。

2004年からはコーチに復帰し一時現場を離れるものの、生涯を通じ阪神のコーチを務めている。吉田→野村→星野→岡田→真弓→和田→金本とOB/外様とタイプの違う監督が就任しているにも拘らず、常に重宝されるのは本人の人徳の致すところなのだろう

明るく外交的な性格からチームのムードメーカーであり、親父ギャグも多い。OBや熱狂的ファン・マスコミからの無用なプレッシャーもあり、あまりはっちゃけると叩かれてしまい暗い雰囲気にならざるを得ないの阪神ベンチにおいて、貴重な存在。若い頃はミッキーマウスに似ているという理由であだ名がミッキーになったが、さほど似ているだろうか?

今シーズンはチーフコーチとなるが、片岡ヘッドコーチ、高代作戦兼総合コーチとのデマケがよく分からず、キャンプ中のインタビューとかにはよく出てくるが、シーズン中野球面でなにかコメントしているところは余り見たことがない。ベンチを盛り上げる以外一体全体何を担当しているのだろうか?

 

#90 香田勲男

①右左 ②177cm/78kg ③52歳 ④2015年 ⑤4年 ⑥佐世保工業-読売ジャイアンツ-近鉄バファローズ ⑦350試合67勝54敗11S / 防御率: 3.82

一軍投手コーチ。1983年ドラフト2位で巨人に入団。主に先発として活躍し、1989年には日本シリーズで完封勝利、1990年には自身初の規定投球回到達し11勝を挙げる。1994年シーズンオフに阿波野とのトレードで近鉄に移籍し、先発中継ぎとしてそこそこの活躍をし2001年に中継ぎとして近鉄の優勝に貢献しつつも、現役引退。

引退後は近鉄、巨人の一軍・二軍コーチを務め、巨人二軍コーチ時代は内海や山口を育て上げた。2012年からは韓国の斗山ベアーズでもコーチ経験を積み、非常に経験豊富。2015年から阪神の二軍コーチに就任すると、岩貞の投球フォームを改造し育成に成功、育成面では非常に頼れる投手コーチ。

2016年からは金本政権の下、一軍投手コーチを務めるが、マテオ3イニング跨ぎ、藤浪150球懲罰登板をはじめとし、継投策にも疑問が残ることが多く、育成に定評があったのに、継投策に定評のあった中西を解任してまで一軍にあげるべきだったかと、スタッフ編成に疑問が残った。まあ、実は予定していた大野や下柳に断られてしまったというのも大きいだろう。

2017年は昨年の反省からか、継投策もある程度納得のいくものになり、金村ブルペンコーチとともに中継ぎ陣の徹底した球数管理を行ったことにより、史上初の中継ぎ60試合登板クインテットを誕生させた。一方で、先発投手陣は不調の岩貞・藤浪を復調させることができず、秋山がでてきたからよかったようなものの、メッセの怪我もあり先発投手陣は崩壊寸前まで追い込まれた

金本監督が投手陣に関しては素人と自分で言っているとおり、先発投手陣の建て直し及び昨年投げさせすぎた中継ぎ陣の整備は香田コーチの双肩にかかっている。特に藤浪の復活なしにしては優勝争いなど到底遠いところになってしまうので、どうにか一本立ちさせてほしい。

それにしても、香田の現役時代を知るラ米のトラとしては、巨人で活躍した選手が阪神のコーチになるというのは、湯舟や川尻が巨人のコーチをやっているような感じで、いまだに違和感が取れない。

 

#73 金村曉

①右右 ②187cm/83kg ③42歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥仙台育英-北海道日本ハムファイターズ-阪神タイガース-信濃グランセローズ ⑦271試合89勝81敗2S / 防御率: 3.89

一軍投手コーチブルペン担当。1994年ドラフト1位で日ハムに入団。4年目から先発ローテーション入りし、その後日ハムのエースにまで成長。30代になり成績が落ちてくると、高年俸もあってか日ハムらしく2007年オフにトレードで放出される。交換相手はほとんど実績のなかった中村泰で、当時は中村泰エースクラスの獲得なんて超ラッキーと思っていたが、日ハムさんの見る目は正しかった()

移籍後当然開幕ローテーションとして期待されたが、精彩を欠き3年間で1勝しか挙げられず自由契約(泣)。その後独立リーグに挑戦するが肩の状態が安定せず引退となった。

2006年には5年連続2桁勝利と6年連続規定投球回到達の記録がかかっていた試合で、あと一人というところでピンチで交代させらてしまい、当時監督のヒルマンに対し、「絶対許さない。外国人監督だから個人記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない。ぷん」と造反とも取れる発言をしてしまい、この舌禍事件も放出の遠因になったのだろう。ちなみに、この事件の後阪神に移籍していた片岡と下柳に飲食店に呼び出され「俺らはお前にそんな事を教えたか!目を覚まさせてやる!」とお叱りを受けてしまうが、なんとなく酒に酔い勢いに乗った下柳が二次会の新橋のガード下の居酒屋から電話し「けしからん、今からこい」と無理やり呼び出した昭和のサラリーマンのような絵が浮かんでしまう。

引退後はGAORAの解説者として活躍し、古巣・阪神の宜野座キャンプも毎年のように視察し、阪神では全く活躍しなかったのだが何故か立派な阪神OBのような雰囲気になり、見事就職活動に成功し、一軍投手コーチの座に就く。

金村の現役時代はほとんど先発投手だったので、ブルペン調整のことなどわかんのかと不安に思っていたが、2年目の2017年には中継ぎ陣の徹底した投球数管理を行い、主力中継ぎ陣を殆ど離脱なく運用し、60試合クインテットの誕生に貢献した。その秘密としてアップのブルペン投球は一回のみとしていたことがシーズンオフに明らかになったが、こんなノウハウは他球団に漏らさないでほしい()。肩を温めるために一日3回から4回はブルペンでアップさせてます、くらいいっておけばよかったのに(せこい)。

 

#82 山田勝彦

①右右 ②183cm/85kg ③49歳 ④2013年 ⑤5年 ⑥東邦-阪神タイガース-日本ハムファイターズ ⑦795試合 打率:.205 / 本塁打:21 / 打点:130 / 盗塁:3 / OPS:.526

一軍バッテリーコーチ。1987年ドラフト3位で入団。4年目の1991年から試合に出始めると、暗黒時代で唯一優勝争いを繰り広げた1992には正捕手として114試合に出場し、リーグNo.1の投手陣を引っ張った。一方で打撃は全く期待できず、久慈-山田-投手と並ぶ7~9番は殆ど自動アウトであり、多くのファンがその間はテレビのチャンネルを替えていた

その後は改善しない打撃と、困ったら外角一辺倒なリードが評価されず、関川や矢野との併用となり正捕手の座につくことはできず、矢野の成長とともに出番が減っていく。野村監督時代には一瞬打撃が開花したものの、矢野が怪我で離脱した2002年にもチャンスを生かすことができず下柳・中村豊⇔伊達・山田の複数トレードで日ハムに移籍。同年に坪井⇔野口のトレードもあったが、二番手捕手を確保しつつ、ローテ投手と外野の守備固めの選手を獲得と非常にうまいトレードであった。移籍先でも怪我に苦しみ、高橋信二や中島聡の加入もあり2005年に引退した。

引退後は阪神時代の監督である野村監督を慕い、楽天の一軍バッテリーコーチを務める。ここで野村の教えをかなり吸収したようで、その後オリックスにもバッテリーコーチとして招聘され、2013年からは阪神のバッテリーコーチを務める。

昨年は二軍バッテリーコーチだったが、掛布の退任に伴い、一軍バッテリーコーチの矢野が二軍監督就任したことからトコロテン的に一軍バッテリーコーチに就任。金本監督就任当時から同監督は指導者経験がないのだから、参謀役には同じく指導者経験のない矢野ではなく経験豊富な山田コーチがよいと思っていたのだが、いみじくも実現した。

昨年は矢野コーチの不用意ともとれる発言もあり、梅野・坂本論争がネット民の間で勃発してしまったが、今のところ原口の捕手復帰にも理解を示しており、今のところネット民は平穏を保っている。山田バッテリーコーチが誰を評価するかが春季キャンプでの一つの見所であるとともに、そろそろ正捕手を育て上げ、無用な論争に終止符を打ってほしい

 

#76 平野恵一

①右左 ②169cm/67kg ③39歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥桐蔭-東海大-オリックスブルーウェーブ-阪神タイガース-オリックスバファローズ ⑦1260試合 打率:.279 / 本塁打:18 / 打点:263 / 盗塁:60 / OPS:.679

一軍打撃コーチ。2001年ドラフト自由枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。遊撃手として入団するが、入団当初は送球難もあり活躍できず。3年目に遊撃手から二塁手にコンバートされると、打撃も安定し始め規定打席に到達。2005年には外野手もこなし、二塁と外野を高いレベルでこなせるユーティリティプレーヤーとして度々ファインプレーを見せた。2006年には二塁手で出場した際に、ファールフライを深追いし一塁フェンスに激突し、シーズンを棒に振る大怪我を追ってしまう。フェンスに激突したときの体の曲がり方はいつ見ても痛々しい。。翌年も故障と打撃不振で出場58試合にとどまり、浜中・吉野⇔平野・阿部健太の複数トレードで阪神に移籍。

阪神移籍後は藤本・関本とのポジション争いを制し、二塁手のレギュラーを確保。赤星とのネバネバ俊足1/2番コンビは話題を呼び、赤星出塁→平野セフティバント成功を何度も見せ相手にとって非常にいやらしいリードオフマンコンビであった。2010年にはリーグ二位、自己最高の.350を記録しベストナイン及びゴールデングラブ賞を受賞。しかし翌年は統一球の影響からか成績を落とし、同オフに西岡剛を獲得し、ポジションが危ぶまれたことからF/Aで古巣オリックスに復帰。

その後オリックスでも活躍するが度重なる怪我に悩まされ2015年に引退を表明。引退したばかりであったが、かつてのチームメートの金本監督就任に伴い、二軍守備走塁コーチとして阪神に復帰。二年目の2017年から一軍打撃コーチへ異動する。

打撃コーチに就任した昨年は、前年不振に陥った平野同様アベレージヒッタータイプの上本・大和・俊介が軒並みキャリアハイに近い成績を残し、鳥谷も復調した。アベレージタイプが平野の担当となっているのかは分からないが、同コーチの影響も大きいのではないかと思っている。やはり選手によって打撃スタイルというのは異なるのだから、金本・片岡が理想とする一つの打撃スタイルに拘り過ぎるのではなく、選手の指導に関し複数の引き出しを用意しておくというのは非常に重要だと思う。リーグ最強打線を誇る広島においても、去年の打撃コーチは石井、迎、東出といずれもアベレージタイプにも関わらず、長距離打者が育っている。自分たちの現役時代のボールとは異なる統一球になっているということをやはりチームとして認識し、柔軟な指導体制をチーム全体となって築いてほしいと思う。

ヘルメットを投げると退場になるので投げてはいけない。

 

#71 久慈照嘉

①右左 ②169cm/75kg ③49歳 ④2016年 ⑤延べ7年 ⑥東海大甲府-日本石油-阪神タイガース-中日ドラゴンズ-阪神タイガース ⑦1199試合 打率:.257 / 本塁打:6 / 打点:153 / 盗塁:51 / OPS:.650

平成の牛若丸。一軍内野守備走塁コーチ。1991年ドラフト2位で阪神に入団。堅実な遊撃守備でルーキーイヤーの開幕戦から先発出場し、暗黒時代唯一の優勝争いに貢献。同年新人王に選出される。一方で打撃は山田ほどではないが非力で、久慈-山田-投手と並ぶ7~9番は殆ど自動アウトであり、多くの主婦はその間に夕食の洗い物を済ませていた

大型遊撃手の今岡を獲得し、遊撃手として育てるという当時の方針により、1997年オフ関川・久慈⇔大豊・矢野の大型トレードで中日に移籍。当時中日は狭い名古屋球場から広い名古屋ドームに本拠地を移しており、守備・走塁の強化を目指していた中日から白羽の矢があたり同トレードが敢行され、1999年には二人の活躍もあり中日はリーグ優勝を果たす。一方の阪神はというと、野村監督を招聘したものの相変わらずの暗黒時代真っ只中で、矢野・大豊ともそこそこ活躍したものの、十分な成績とは言えず、多くのファンが失敗トレードだったと地団太を踏んだ。その後、矢野がリーグを代表する捕手にまで成長し、結果的に阪神の方が得をしたトレードだったということを学生だった自分に教えてあげても到底信じて貰えないだろう。

その後、アライバの台頭に伴い、出番が減り自由契約となったところで2003年に古巣阪神に復帰、主に守備固めで活躍するとともに、打撃面でも3割を記録し18年振りのリーグ優勝に貢献。2005年に引退。

2009年に一軍守備走塁コーチとして復帰し、一時チームを離れたものの、2016年から再び一軍内や守備走塁コーチを務めている。

現役時代は本当に素晴らしい守備を披露しており、肩こそ強くなかったものの守備範囲、グラブ裁き、送球への移行スピード、コントロールともに超一流。コーチとしては不動の遊撃手となった鳥谷の守備力向上にも大いに貢献したが、大和が移籍し鳥谷がコンバートされた今、ひょっとするとチームで一番遊撃守備がうまいのは久慈コーチなのではないか、というくらい遊撃手のポジションは逼迫している(泣)。

 

#87 中村豊

①右右 ②173cm/83kg ③45歳 ④2008年 ⑤10年 ⑥上宮-明治大 ⑦536試合 打率:.248 / 本塁打:8 / 打点:63 / 盗塁:12 / OPS:.649

一軍外野守備走塁コーチ。1995年ドラフト1位で日本ハムに入団。大学時代は首位打者・本塁打王・打点王を夫々獲得し、3拍子揃った大型外野手として期待されたが、日ハムでは目立った成績を残せず、2002年オフに下柳・中村豊⇔伊達・山田の複数トレードで阪神に移籍。

移籍年の2003年は主に外野守備固めで出場し、リーグ優勝に貢献。翌年は3試合の出場に留まり二軍コーチ就任の打診を受けたがこれを断り現役続行。そして2005年、やはり外野守備固めとしての出場がメインだったが、中日との優勝争いの真っ只中の9月7日のドラゴンズ戦で代走として出場し、本塁に生還したと思われたが、主審の橘高はアウトの宣告。これに対し岡田監督が猛抗議し一時はベンチに選手を全員引き揚げる事態となった(その前にもミスジャッジと思われる本塁クロスプレーがあった)。そのまま延長戦に突入し右翼の守備につくと、11回表に自身3年振りとなる決勝本塁打を放ち、チームは勝利。これを境に阪神は再び調子を上げ2年振りのリーグ優勝を果たす。この試合は岡田監督が一打サヨナラのピンチで就任以来初めてマウンドに行き、久保田に対し「むちゃくちゃほったれ」との名言をかけピンチを脱したなど、ファンにとって伝説の名試合でもあり、中村豊が唯一阪神で放った殊勲の本塁打は永く阪神ファンの間で語り継がれている。

2007年に引退すると翌2008年より二軍守備走塁コーチに就任。2009年に一度一軍打撃コーチに移動したが、2015年まで二軍守備コーチで二軍選手の外野守備及び走塁を鍛えてきた。のだが、同期間の外野手は林・桜井・伊藤隼・柴田・緒方・一二三と一向に守備難が解決せず、一軍コーチとなった2016年からも高山の守備が一向に改善しないなど、現役時代は堅実な外野守備でチームのピンチを何度も救ったが、二軍の外野手経験のない筒井コーチとともに、この人は本当に指導者としての素養があるのか疑わしくなってしまう。

昔は下手糞だったのにうまくなったなーというのは他球団では結構聞くことがあるのだが(福留なんかその例)、阪神では一向に聞こえてこない。。。センスの問題なのか指導の問題なのか素人のラ米の虎には分からないが、伊藤隼に関しては諦めたのでせめて高山とルーキーの島田に関しては立派に育ててあげて下さい(切実)。

 

#91 伊藤敦規

①右右 ②177cm/75kg ③55歳 ④2005年 ⑤13年 ⑥中京-福井工業大-阪急ブレーブス-オリックスブレーブス-横浜ベイスターズ-阪神タイガース ⑦483試合56勝51敗11S / 防御率: 3.76

一軍トレーニングコーチ。オリックスの前身の阪急ブレーブス(懐かしい)に1987年ドラフト1位で入団。阪急・オリックスでは主に先発として活躍し、西武キラーとして名を馳せる。その後横浜ベイスターズにトレードで移籍するも成績は低迷し1996年オフに戦力外通告。「幼い頃からファンだった阪神の入団テストを受けてダメだったら諦めもつく」と入団テストを受け無事合格し、憧れの縦じまに袖を通す。

阪神時代は中継ぎに転向し、5年連続50試合登板を果たすなど、暗黒時代の阪神の中継ぎエースとして活躍する。当時はろくな先発投手がおらず、葛西・遠山・田村・弓長変則サイドスロー投手らと中継ぎ陣を組成し、相手打者の目線をどうにかそらし凌いでいた。勝ってても投げ、負けてても投げと身を粉にして働いてくれ、ヒーローインタビューでは「羽根を抜いては投げている」と自らを鶴の恩返しに例え、バブル崩壊後苦境に立たされた多くのサラリーマンが自分に照らし合わせ、涙したとかしないとか

当時のファンは「伊藤がいなかったと思うとぞっとする」とよく言っていたが、「伊藤がいてもいなくても、最下位には変わりなかった」というのは当時の笑い話である。加藤康・高宮・桑原「オリックスと横浜を経験した投手は阪神で活躍する」ジンクスの元祖。

2002年は怪我の影響もあり移籍後最低の成績に終わり、オフには星野監督の大幅入れ替え断行により引退。暗黒時代の功労者だったので、2003年の優勝は味あわせてあげたかった。

引退後は実家の建設業で営業主任を務める傍ら、解説者としても活躍、2005年に三軍コーチとして阪神に復帰し、その後一軍/二軍トレーニングコーチを務める。地味な風貌からしても伊藤営業主任は似合いすぎである。

かつての阪神は、怪我をすると「病院に行かずに様子を見る」→「無理に練習や試合に出て長期離脱」というパターンが多く、コンディショニング部門に問題があったが、最近では試合中の不慮の怪我を除き、勤続疲労等による故障がかなり減ってきており、トレーニング部門の体制までは把握していないが、伊藤コーチの貢献もあるのではないかと想像している。やはり怪我をすると成長が止まってしまうし、チームが弱体してしまうのはヤ戦病院を見ていると明らかであり、引き続き怪我を事前に防ぐ体制の構築をお願いしたい。

 

#88 矢野燿大

①右右 ②180cm/81kg ③50歳 ④2016年 ⑤3年 ⑥桜宮-東北福祉大-中日ドラゴンズ-阪神タイガース ⑦1669試合 打率:.274 / 本塁打:112 / 打点:570 / 盗塁:16 / OPS:.730

やのぷー。二軍監督。1990年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。強打の捕手として期待される。中日時代は当時正捕手の中村武志がいたことにより、第二捕手としての扱いであり、打撃を生かして外野手としても起用された。

1997年オフに名古屋ドームに移転し守備走塁の強化を図る中日ドラゴンズとのトレード要員として、久慈・関川⇔大豊・矢野の大型トレードで阪神に移籍。移籍後は山田に代わり正捕手の座を勝ち取る。打撃面でも成長が見え、1999年には初めての規定打席に到達し3割を記録。しかしながら、当時は暗黒時代真っ只中で、チームは98年から2001年まで4年連続最下位、実は前年の97年も中日が最下位だったこともあり、実に5年連続最下位チームに所属してしまう結果となった。

転換期は2002年の星野監督の就任。阪神へのトレード当時、当時中日監督の星野監督に声も掛けてもらえなかったらしく、また星野監督に捨てられてしまうと失望していたらしいが、前任の野村監督の教えによる成長もあってか、引き続き正捕手として出場。2003年には打率.328、本塁打14本、打点79と今の阪神であれば四番も打てる成績を残し恐怖の7番打者として優勝に貢献、井川と4票差のMVP投票2と大車輪の活躍を見せた。その後も日本を代表する名捕手の一人として活躍し、2000年代阪神を支えた。

2009年から右ひじの故障で出場機会が減り始め、翌年は城島の加入により出番が減ったことから引退を決意。引退試合では9回二死から出場する予定で出場登録されたが、二死になる前に球児が空気を読まないことで有名な村田から、まさかの逆転3ランを浴びてしまい、まだ優勝がかかっており勝利を優先した球団の判断で出場とはならなかった(涙)。実況も「行くな!行くな!超えるな!」と阪神贔屓もろ出しの阿鼻叫喚ぶりであったが、この空気の読めない村田の一発には誰からも批判が飛ばなかった

現役時代は攻守ともに非常に頼れる存在で、人懐っこい笑顔もあり、外様ながらファンからは絶大な人気を誇った。最盛期球児の火の玉ストレートを中腰でリードし、三振を奪いゲームセットとなった後に満面の笑顔で球児と抱き合う姿が本当に懐かしい。いい時代でした。

引退後は関西地方中心にマスコミで活躍していたが、盟友金本監督の現場復帰に伴い、バッテリーコーチとして現場復帰。今シーズンからは掛布二軍監督の退任に伴い、二軍監督に就任。

一方で、一見温厚そうな人物に見えるが、実は非常に短気。現役時代も二度の退場を受け、昨シーズンは藤浪が畠山に死球をぶつけてしまい乱闘騒ぎになった際に、激昂したバレンティンに突き倒され、ジャンピングニーパッドで応戦したため、両者ともに退場処分となってしまう。

指導スタイルもかなり厳しく、これまで自主性を重んじてきた掛布二軍監督とは育成方針ががらっと変わる可能性がある。どちらが良いかというのはケースバイケースで難しい問題ではあるが、ヘッドコーチなど参謀として時には反対意見を言う役割はお友達内閣にならないように必要だと思うが、組織設計上は少なくとも普段一緒にいない一軍監督と二軍監督の方針は一枚岩であるべきだと思うので、昨年問題があったとされる一軍/二軍監督の方針の違いが改善されることは大きな効果があるのではないかと期待している。

二軍コーチ純減及び新人コーチも多いことで、打撃部門・バッテリー部門も見るとのことだが、オーバーワークになり中途半端にならないことを切に願う。後、矢野は監督経験初めてにも拘らず、参謀となる年上のコーチがいないが、この辺も懸念される。なんで久保コーチも、古屋コーチもクビにしてしまったのだろう。。。

昨年の梅野・坂本の捕手起用に関し素人がどうこういうつもりはないが、「坂本のリードは文句のつけようがない」、「原口は構えに気持ちが出てない」など、坂本が本当にチームを勝利に導く結果を残していたのならまだしも、結果を出していない状況において、贔屓とも取られマスコミの絶好の餌食になるような発言は、ネット上で無用な論争を呼んでしまうので控えてほしく思う。

 

#72 高橋建

①左左 ②185cm/90kg ③49歳 ④2016年 ⑤3年 ⑥横浜-拓殖大-トヨタ自動車-広島カープ-ニューヨーク・メッツ-広島カープ ⑦459試合70勝92敗5S / 防御率: 4.33

建さん。二軍投手コーチ。1994年ドラフト4位で広島カープに入団。先発・中継ぎとして暗黒時代のカープを支える。二桁勝利は一回しかなく、通算成績もエース格というほどではないが、永年広島を支えてきたこともあり、広島ファンからの支持は厚い。

2009年には40歳になる年齢で大リーグに挑戦。40歳でのメジャーデビューは第二次世界大戦以降では史上3位の高齢記録となった。翌年広島に復帰するも、同年限りで引退。その後解説者を経て、広島時代のチームメートの金本が監督就任したことで、二軍コーチとして招聘される。

当時の組閣は同じくチームメートの大野、川口、下柳らへんに声をかけていたらしいが、ことごとく断られた結果、なし崩し的に香田コーチが一軍昇格となり、空いたポジションで高橋に白羽の矢が当たった。一応他コーチ同様金本監督と野球観は同じらしい。それにしても音楽性とか芸術観とか経営方針とかなら分かるが、野球観というのはいったい何なのだろう?

二軍投手コーチは一軍よりも多い三人制のため、あまりマスコミには出てこないのだが、恐らく山本の指導をしているところを見ると左腕投手の担当なのかと思われる。OBコーチが多い阪神の中で、他球団出身で大リーグも経験している高橋建コーチは、別の視点の指導をしてもらう上で貴重な人材。二軍コーチなので余り目に見える結果が見えないところであるが、二軍で燻っている、横山・榎田・島本・山本の戦力化に加え、今年高橋遥・石井・呂の三名の左腕が入ってきたので、一人でも多くの左腕を一軍に輩出できるよう、指導をお願いしたい。

 

#85 福原忍

①右右 ②180cm/96kg ③42歳 ④2017年 ⑤2年 ⑥広陵-東洋大-阪神タイガース ⑦595試合83勝104敗29S / 防御率: 3.49

おはぎ。1998年ドラフト3位で阪神に入団。同ドラフトは暗黒時代真っ只中のドラフトだったが、1位藤川球児、3位福原と後の阪神を支える投手を輩出する成功ドラフトとなった。ルーキーイヤーから150km/h台のストレートを計測し、中継ぎ・抑えで1079セーブを挙げ見事な成績を残した。

翌年からは先発投手に転向し、2004年、2006年には二桁勝利を記録しエース格とはいかずもローテの中心として活躍、しかしながら徐々に先発投手としては成績を落としていき、2010年にはプロ入り初の未勝利に終わってしまう。

当時既に30台半ばということもあり、福原も引退間近かと思われたが、2011年中継ぎに再転向後、小林宏と久保田の不調から勝ちパターンでの起用が増えると、自己最多の55試合に登板し、防御率2.5911ホールドと安定した成績を残した。以降、5年連続で50試合以上登板し、2014年・2015年には38歳・39歳の年に二年連続最優秀中継ぎ賞を獲得するなど、見事なモデルチェンジと復活を果たした。若いころはほっそりとして、イケメンとまでは行かないも好青年な感じであったが、最優秀中継ぎ賞で表彰台に上った福原のとてもプロ野球選手とは思えないおっさんぶりと毛髪には、時代の流れを感じざるを得なかった。やはり帽子を長いことかぶっていると蒸れてしまうのだろうか。

2016年衰えに伴い引退し、翌年からファーム育成コーチとして就任、今季は二軍投手コーチを務める。

若いころは速球派先発投手として慣らし、怪我や二軍での不調時期も経験し、中継ぎとして再度モデルチェンジして成功を収めた福原の豊富な経験は、多くの若手や二軍で燻っている中堅投手にとってよい生き字引になると思う。軟投派/安藤、左腕/高橋建、速球派/福原といずれもタイプは異なるが豊富な経験を持つ投手コーチなので、魔改造博士の久保コーチは抜けてしまったが、まだまだ殻を破りきれていない楽しみな若い投手が沢山いる阪神のファームの次世代育成体制をしっかりと築き上げていってほしい。

トラトラタイガースでおはぎを番組進行そっちのけでむさぶるように食べていたので、ネット上で「おはぎ」という有難くないあだ名を付けられてしまった。

 

#89藤井彰人

①右右 ②170cm/80kg ③42歳 ④2017年 ⑤2年 ⑥近代付-近畿大-大阪近鉄バファローズ-東北楽天イーグルス-阪神タイガース ⑦1073試合 打率:.236 / 本塁打:10 / 打点:173 / 盗塁:18 / OPS:.578

男前。二軍バッテリーコーチ。1998年ドラフト2位で今はなき近鉄バファローズに入団。2004年近鉄バファローズのオリックスとの合併に伴う分配ドラフトで楽天に移籍。2005年から正捕手としてポジションを掴み、2008年には岩隈と組み最優秀バッテリー賞を受賞。打撃に特徴はないが、昔よくいた豆タンク型の捕手で、強肩と確実なキャッチング能力で黎明期の楽天を支えた。2010年オフには嶋の成長に伴う出場機会の減少と、当時城島が故障し捕手編成に不安のあった阪神からのオファーもありフリーエージェントで阪神に移籍

阪神移籍後の2011年はは城島の怪我の予後がよくなく、移籍年の途中からスタメンマスクを任される。ヒーローインタビューの際には新井さんとのやりとりで、藤井の本塁打について「チームメイトが『さすが男前!』と言ってました」と発言したところ、「顔しか取り柄がないけど頑張る」と返したところから、以後「男前」として知られるようになる。

それにしても移籍選手はこうやってヒーローインタビューでスタンドを盛り上げてくれるが、生え抜きの選手にももう少し楽しそうにインタビューに応じてほしいものである。鳥谷・上本・俊介らへんの地味キャラに期待しても無理そうだが。。。

その後は日高・鶴岡の移籍組みとともに正捕手が出てこない阪神の扇の要を守ってくれたが、梅野の台頭と体力の限界から2015年で引退。引退後の2016年は指導者としての育成含みで、福井ミラクルエレファンツに出向し、翌年ファーム育成コーチとして阪神に復帰、今期は矢野コーチの二軍監督就任及び山田コーチの一軍異動に伴い、バッテリーコーチを務める。

最優秀バッテリー賞を受賞するほど、守備面には定評のあった選手なので、二軍に長坂しか育成する捕手がいない状況は困りものではあるが、地味ながら小宮山の捕球能力をどうにか改善し、第三捕手候補として一軍でも通用するよう戦力化をお願いしたい。

 

#79濱中治

①右右 ②178cm/83kg ③40歳 ④2015年 ⑤4年 ⑥南部-阪神タイガース-オリックスバファローズ-ヤクルトスワローズ ⑦744試合 打率:.268 / 本塁打:85 / 打点:311 / 盗塁:17 / OPS:.777

はまちゃん、うねり打法、不死鳥。二軍打撃コーチ。1996年ドラフト3位で阪神に入団。ドラフト当時は投手として指名されたが、指名時から長打力を買われ、三塁手や外野手にコンバートされる。ちなみにこの年は、1位今岡、2位関本、3位濱中と暗黒時代真っ只中にも拘らず、奇跡のドラフトとなった。高卒一年目からファームで4番を任され、一軍出場を果たすなど早くから大きな期待を受ける。5年目の2001年に規定打席に達するとともに13本塁打を放ち、長距離砲としてブレークすると、2002年には18本塁打を放ち、新庄以来の大砲の誕生に誰しもが希望を抱いた。オフにはおかんとエアロビ自主トレをするなど親孝行な一面を見せる(笑)。

2003年は田淵打撃コーチに師事し、うねり打法を習得。4番打者として育成するチーム方針で、開幕から4番として出場すると大活躍、勝負強い打撃で打点王を独走し、5月までに10本塁打しチームの快進撃に大きく貢献するなどその才能はついに開花、と思われたが牽制球の帰塁時に右肩を負傷。その後、怪我も癒えないまま強行出場すると右肩を脱臼し、以後現役生活を通じ、右肩の故障に苦しめられることになる。あの牽制がなかったら、強行出場させてなかったらどれだけの打者になっていたのかと思うと、今考えても本当に惜しい。当時の無理矢理出場させた首脳陣とそれを止めなかったトレーナ陣の罪は重い。

ちなみに、その後関本がブチノリハマ打法という田淵と中村ノリと浜中を掛け合わせた打法を完成させたが、結果出来上がったのが、大きな体でバットを短く持ち広角に好打を放つ、田淵・ノリ・浜中とは到底似つかないいぶし銀打者になってしまったのは未だに不思議である。

2006年には4年振りの二桁本塁打の20を放つなど復活かと思われたが、翌年の大不振と度重なる怪我、そして桜井・林の台頭により指名打者制のあるパ・リーグの方がよいという判断で、平野・阿部健⇔浜中・吉野の大型トレードでオリックスに移籍。オリックスでも期待された結果を出せず3年で戦力外通告され、ヤクルトに拾われ開幕スタメンを果たすも、結果が出ず引退となる。応援歌通り不死鳥とはならなかった(涙)。

解説者を経て2015年に二軍打撃コーチとして復帰すると、2016年は一軍コーチへ異動。当時オマリー特命コーチもおりベンチ入りできるコーチ枠の問題から、常にジャージ姿でベンチ入りしていた(涙)。2017年からは平野と入れ替わる形で再び二軍打撃コーチを務める。

これまで打撃コーチ補佐的な役割のため打撃コーチとしての手腕は正直見えにくいところはあるが、2016年に主力野手陣がことごとく不振に陥ってしまい、昨年は平野コーチに変わりある程度改善したところを見ると、どうなのかなと思う。現役時代も天才的な変化球打ちを見せた一方、調子のぶれが大きかったことから天才型打者で人に教えるのは向いていないのではないかと邪推してしまう。

いずれにせよ邪推に過ぎないが、今期は掛布・今岡が退団し二軍のチーフ打撃コーチとなるであろうから、濱中コーチの指導手腕が明確に見えてくる。昨季ことごとく不振に陥った、江越、板山、緒方ら若手野手をどのように立て直すことができるか注目している。

 

#74藤本敦士

①右左 ②174cm/72kg ③41歳 ④2015年 ⑤4年 ⑥育英-亜細亜大(中退)-甲賀総合化学専-デュプロ-阪神タイガース-ヤクルトスワローズ ⑦1001試合 打率:.251 / 本塁打:14 / 打点:208 / 盗塁:27 / OPS:.623

モンキー、金本のおもちゃ。二軍内野守備走塁コーチ。2000年ドラフト7位で阪神に入団。当初は指名を予定していなかったが、当時の野村監督の推薦で指名。名監督というのはアマチュア選手を見る目もあるものですね。

亜大時代は椎間板ヘルニアで一時野球を諦めたが、実家の焼き鳥屋の常連の岡田前監督の勧めから、甲賀総合化学専門学校に進み、その後社会人野球を経てプロ入りを果たす。本当に人生は一期一会、何があるか分からないものである

入団後はF1セブンの一人として1年目から75試合に出場。2003年には不動の8番遊撃手として出場し、最終打席で安打を放ったことにより自身初の3割を記録、18年ぶりのリーグ優勝に貢献した。ダイエーホークスとの日本シリーズ第三戦では、10回裏1out満塁、サヨナラのチャンスで星野監督自ら「嫁さんにええかっこしてこい!」と声をかけ、見事サヨナラ犠飛を放ちサヨナラ勝ちを収め、2003年の名シーンとして記憶されている。

2004年は前年3割を記録していたにも拘らず、開幕スタメンをゴールデンルーキーの鳥谷に奪われる。翌年以降は今岡のコンバートに伴い、二塁にコンバートされ、関本と左右でスタメンの座を分け合う形となる。2008年は平野のトレードでの入団に伴い出番が激減、2009年オフ出番を求めヤクルトへのフリーエージェントでの移籍を決断。しかしながら、持病の椎間板ヘルニアが悪化し思ったような成績を残せず、2013年に古巣甲子園で引退試合を飾り、ヤクルトファンのみならず、古巣・阪神ファンからも惜しまれながら引退となる。

引退後は解説者を経て2015年に二軍内野守備走塁コーチとして現場復帰。現役時代の守備は、歴代阪神の名遊撃手の平田・和田・久慈といった面々には及ばないものの、北條・植田といった二軍の若い面々が年々守備力が向上しているところをみると、なかなかの育成手腕があるのではないかと想像される。

今年は熊谷が入団し、一軍になるか二軍になるか分からないが、一年で一軍レベルに持っていけるように指導願いたい。

現役時代は金本のいたずらの格好の的。レギュラー獲得後「大きな声で言えないが、松井稼頭央が移籍してくるらしい」と金本から言われ半泣きになっていたらしいが、当時中日の福留が心配し松井に確認した上で、金本のいたずらであることを教えてあげたらしい。ほんとにどっちが監督なんだか・・。

 

#96筒井壮

①右右 ②180cm/79kg ③44歳 ④2007年 ⑤11年 ⑥上宮-明治大-中日ドラゴンズ-阪神タイガース ⑦191試合 打率:.232 / 本塁打:2 / 打点:18 / 盗塁:1 / OPS:.599

星野組長の甥っ子。1996年ドラフト7位で中日ドラゴンズに入団。1999年にはウエスタンリーグ首位打者を獲得したが、一軍で目立った成績は残せず、2004年に自由契約。2005年には当時阪神のオーナー付シニアディレクターをしていた叔父の星野組長に拾われる形で、阪神に移籍。そのまま一軍出場はなく2006年に現役引退。

引退後はそのまま育成コーチとして阪神に残る形になるが、そのまま現在に至る。コーチとしてのキャリアは育成コーチ→二軍内野守備走塁コーチ→二軍打撃コーチ→二軍守備走塁コーチとなっているが、その指導者としての手腕は不明。

2000年代の阪神コーチ陣は2003年のオールスター首脳陣が星野監督の退団に伴い退団後は、壊れた信号機の吉竹守備走塁コーチ、山脇守備走塁コーチ、捕手をまったく育てられない吉田バッテリーコーチ、怪我人を続出させる続木トレーニングコーチといった面々が長い間居座っていたが、金本体制になって漸く入れ替えが実行された。一方で、筒井コーチに関してはそのまま居座る形となり、11年のキャリアは、平田・伊藤敦に続く3番目の長さ。平田は現役・コーチ実績とも豊富、伊藤は直接技術指導に関係のないトレーニングコーチということを考えると、特に守備も打撃もよくなかった筒井コーチがここまで重用されているのは平成阪神7不思議のひとつである。

やはり、星野組長の影響がいつまでたっても残っているのか、はたまた明大閥が強いのか、その理由は知る由もない。

二軍トレーニングコーチとかそこまで育成に影響しないポジションであればよいが、現状の阪神は外野守備に問題のある選手が多く、また走塁に関してももっと盗塁を狙える選手を増やしてほしい中、その担当コーチに実績のない人物を置いている余裕はないと思う。今年入団の島田を育てられないようであれば、指導力に定評のあるコーチとの入れ替えも検討すべきかと思う。

理想は我等がレッドスターなのだが、まだ体調に不安があるとのこと。昨年12月には現場復帰の意欲を語っていたが、コーチ就任してしまうと時間が無くなってしまうので、全国放送のミヤネ屋やGoing!に出演している間に嫁さんを探そうとしているのではないかと、勘繰っているのは自分だけだろうか。

 

#86安藤優也

①右右 ②184cm/96kg ③41歳 ④2018年 ⑤1年 ⑥大分雄城台-法政大-トヨタ自動車-阪神タイガース ⑦486試合77勝66敗11S / 防御率: 3.56

あんちゃん。エースコック。投げるアンパンマン。二軍育成コーチ。

2001年大学の後輩でバッテリーを」組んでいた浅井とともにドラフト自由枠で入団。150km/hの速球と緻密なコントロールが武器の本格化右腕。

ルーキーイヤーの2002年は3勝に終わり目立った成績を残せなかったが、翌2003年は伊良部のアドバイスも受け、51試合の登板で防御率1.62でウィリアムスにつなぐセットアッパーとしての大車輪の活躍を見せ、18年ぶりのリーグ優勝に貢献。2005年からは先発に転向し、同年11勝を挙げ最優秀勝率のタイトルも獲得し、優勝に貢献。

以後先発の柱として活躍し、2008年から3年間は開幕投手も勤める。しかしながらおっさんぽい風貌からか、地味な投球スタイルからか21世紀の阪神のエースという話題になっても、井川、能見、メッセンジャーの名前は出るが、安藤と答える人はゴールデングラブ賞にバレンティンを投票するくらいない。しかしながら、制球を乱すことは滅多になく、非常に安心してみていられる投手であった。

2010年頃から肩の痛みに悩まされるようになり球威も落ち成績が低迷、もうベテランになっていた時期だったので、安藤もそろそろかなと思わされたが、福原よろしく復活しました。2013年には中継ぎとして58試合登板し23ホールド、以降4年連続で50試合登板し、不安定な中継ぎ陣を福原とのおっさんコンビと支えた。2017年まだできるかと思ったが、チームの若返りの中惜しまれながら引退。

福原が直球のキレで勝負していたのに対し、安藤の武器は正確なコントロールそのもの。直球の力こそそこまでないものの、外角低めにコントロールされた直球と投球術を武器に何度もチームを救ってくれた。

福原同様、中継ぎで始まり、先発でも活躍し、故障を経験し最後はセットアッパーと酸いも甘いも経験してきた投手なので、若手投手は色々と学ぶことが多いと思う。久保コーチなき今、名コーチの階段を上って行ってほしい。

                                                              

#83新井良太

①右右 ②188cm/98kg ③35歳 ④2018年 ⑤1年 ⑥広陵-駒澤大-中日ドラゴンズ-阪神タイガース ⑦630試合 打率:.238 / 本塁打:40 / 打点:151 / 盗塁:5 / OPS:.690

良太。弟。二軍育成コーチ。2005年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。東都大学1部リーグ歴代7位タイの14本塁打を記録したパワーを武器にプロ入りを果たす。実兄は広島カープの新井貴浩。

兎に角、兄に似ており、広陵→駒大という経歴から始まり、バッティングフォーム、ホームランを打った後のバット投げ、外角変化球に型には嵌ったように三振する姿など瓜二つであった。しかし、実績面では兄に遠く及ばず、勝っているのは顔くらい。例えていうならガンダムと量産型ガンダムのジムくらいの差があった。

中日時代は将来の中軸として期待されたが、二軍でそこそこの成績を残すものの一軍では結果が出ず、水田とのトレードで2011年に阪神に移籍、兄と同じユニフォームに袖を通すことになり大いに話題となった。

2011年には兄弟サヨナラ安打を記録、2012年にはついに才能が開花し、打率.280、11本塁打で翌2013年には自身初の開幕4番を任されるまでに成長する。その年も14本塁打51打点でキャリアハイの成績を達成するが、打率.238と4番打者としては十分な成績が残せなかった。以降腰痛を中心に怪我にも悩まされるようになり、成績は低迷2017年に引退。

引退試合は本来功労者である安藤のために用意されたものであったが、良太も途中出場し、安藤が登板の際に三塁守備でファインプレーを見せ球場を沸かせる。その後の引退セレモニーも安藤に促されチームメートから胴上げを受け、その後安藤とともに球場を一周しファンに丁寧に挨拶している姿を見て、おっちゃん泣いちゃいました。

その日のフジテレビのプロ野球ニュースでは良太の特集が組まれ、なんと現役時代に放った40本の本塁打を全てVTRで流すという、規定打席に一度も達成しなかった選手に対し、異例の取り扱いとなった。しかし、新井良太のこれは数字には表れないプロ野球選手としての実績であると思うし、改めて本当にファンを愛しファンに愛された選手だったのだなと感じさせられた。

引退後はそのルックスも生かし、しばらくすまたんくらいで活躍するのかなと思っていたが、なんとそのままコーチ就任。良太の打撃は素人でも一言いいたくなるような感じだったので、一体全体何を教えるんだろうという感じだったのだが、結構熱血漢らしく今のところ評判がよい(技術面は不明)。頼むから、初球甘い球を見逃し、二球目は厳しいところをファール、一球挟んで外角スライダーを空振り三振という兄弟のテンプレートだけは誰にも引き継がないでほしい。