阪神タイガースブログ ラテンアメリカの虎

ラテンアメリカ某国在住、虎キチ歴35年。梅雨時期には来年のことを考え始める癖が抜けない弱気な阪神ファンのブログです

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阪神タイガース 選手名鑑2018 首脳陣編②

皆様いつもご覧いただき有難うございます!

本日は録画もうまくいき、朝起きて日曜の朝にじっくり試合を見ようとしたものの、なんと雨天コールド、なかなか噛み合わせがうまかないものです。

しかし、年間のまずい噛み合わせの量は決まっているといいますので(起源不明)、点を取った後に、岩田が追い付かれるという噛み合わせの悪さを、ここに持ってこれたものということにしておきます。

ということで、試合は1イニング未満しか見れなかったのですが、まあ藤浪のストレートがばっちり調整出来ていたのでよしとします。キャンプ終了までに紅白戦が予定されているようですが、今日の登板が飛んでしまったことで調整スケジュールが狂わないようにしてほしいですね。

今日は試合感想を書くつもりでしたが、ネタがなくなってしまったので、こんな時の選手名鑑更新です。今日は首脳陣編第2弾です!

 

#73 金村曉

①右右 ②187cm/83kg ③42歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥仙台育英-北海道日本ハムファイターズ-阪神タイガース-信濃グランセローズ ⑦271試合89勝81敗2S / 防御率: 3.89

一軍投手コーチブルペン担当。1994年ドラフト1位で日ハムに入団。4年目から先発ローテーション入りし、その後日ハムのエースにまで成長。30代になり成績が落ちてくると、高年俸もあってか日ハムらしく2007年オフにトレードで放出される。交換相手はほとんど実績のなかった中村泰で、当時は中村泰エースクラスの獲得なんて超ラッキーと思っていたが、日ハムさんの見る目は正しかった()

移籍後当然開幕ローテーションとして期待されたが、精彩を欠き3年間で1勝しか挙げられず自由契約(泣)。その後独立リーグに挑戦するが肩の状態が安定せず引退となった。

2006年には5年連続2桁勝利と6年連続規定投球回到達の記録がかかっていた試合で、あと一人というところでピンチで交代させらてしまい、当時監督のヒルマンに対し、「絶対許さない。外国人監督だから個人記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない。ぷん」と造反とも取れる発言をしてしまい、この舌禍事件も放出の遠因になったのだろう。ちなみに、この事件の後阪神に移籍していた片岡と下柳に飲食店に呼び出され「俺らはお前にそんな事を教えたか!目を覚まさせてやる!」とお叱りを受けてしまうが、なんとなく酒に酔い勢いに乗った下柳が二次会の新橋のガード下の居酒屋から電話し「けしからん、今からこい」と無理やり呼び出した昭和のサラリーマンのような絵が浮かんでしまう。

引退後はGAORAの解説者として活躍し、古巣・阪神の宜野座キャンプも毎年のように視察し、阪神では全く活躍しなかったのだが何故か立派な阪神OBのような雰囲気になり、見事就職活動に成功し、一軍投手コーチの座に就く。

金村の現役時代はほとんど先発投手だったので、ブルペン調整のことなどわかんのかと不安に思っていたが、2年目の2017年には中継ぎ陣の徹底した投球数管理を行い、主力中継ぎ陣を殆ど離脱なく運用し、60試合クインテットの誕生に貢献した。その秘密としてアップのブルペン投球は一回のみとしていたことがシーズンオフに明らかになったが、こんなノウハウは他球団に漏らさないでほしい()。肩を温めるために一日3回から4回はブルペンでアップさせてます、くらいいっておけばよかったのに(せこい)。

 

#82 山田勝彦

①右右 ②183cm/85kg ③49歳 ④2013年 ⑤5年 ⑥東邦-阪神タイガース-日本ハムファイターズ ⑦795試合 打率:.205 / 本塁打:21 / 打点:130 / 盗塁:3 / OPS:.526

一軍バッテリーコーチ。1987年ドラフト3位で入団。4年目の1991年から試合に出始めると、暗黒時代で唯一優勝争いを繰り広げた1992には正捕手として114試合に出場し、リーグNo.1の投手陣を引っ張った。一方で打撃は全く期待できず、久慈-山田-投手と並ぶ7~9番は殆ど自動アウトであり、多くのファンがその間はテレビのチャンネルを替えていた

その後は改善しない打撃と、困ったら外角一辺倒なリードが評価されず、関川や矢野との併用となり正捕手の座につくことはできず、矢野の成長とともに出番が減っていく。野村監督時代には一瞬打撃が開花したものの、矢野が怪我で離脱した2002年にもチャンスを生かすことができず下柳・中村豊⇔伊達・山田の複数トレードで日ハムに移籍。同年に坪井⇔野口のトレードもあったが、二番手捕手を確保しつつ、ローテ投手と外野の守備固めの選手を獲得と非常にうまいトレードであった。移籍先でも怪我に苦しみ、高橋信二や中島聡の加入もあり2005年に引退した。

引退後は阪神時代の監督である野村監督を慕い、楽天の一軍バッテリーコーチを務める。ここで野村の教えをかなり吸収したようで、その後オリックスにもバッテリーコーチとして招聘され、2013年からは阪神のバッテリーコーチを務める。

昨年は二軍バッテリーコーチだったが、掛布の退任に伴い、一軍バッテリーコーチの矢野が二軍監督就任したことからトコロテン的に一軍バッテリーコーチに就任。金本監督就任当時から同監督は指導者経験がないのだから、参謀役には同じく指導者経験のない矢野ではなく経験豊富な山田コーチがよいと思っていたのだが、いみじくも実現した。

昨年は矢野コーチの不用意ともとれる発言もあり、梅野・坂本論争がネット民の間で勃発してしまったが、今のところ原口の捕手復帰にも理解を示しており、今のところネット民は平穏を保っている。山田バッテリーコーチが誰を評価するかが春季キャンプでの一つの見所であるとともに、そろそろ正捕手を育て上げ、無用な論争に終止符を打ってほしい

 

#76 平野恵一

①右左 ②169cm/67kg ③39歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥桐蔭-東海大-オリックスブルーウェーブ-阪神タイガース-オリックスバファローズ ⑦1260試合 打率:.279 / 本塁打:18 / 打点:263 / 盗塁:60 / OPS:.679

一軍打撃コーチ。2001年ドラフト自由枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。遊撃手として入団するが、入団当初は送球難もあり活躍できず。3年目に遊撃手から二塁手にコンバートされると、打撃も安定し始め規定打席に到達。2005年には外野手もこなし、二塁と外野を高いレベルでこなせるユーティリティプレーヤーとして度々ファインプレーを見せた。2006年には二塁手で出場した際に、ファールフライを深追いし一塁フェンスに激突し、シーズンを棒に振る大怪我を追ってしまう。フェンスに激突したときの体の曲がり方はいつ見ても痛々しい。。翌年も故障と打撃不振で出場58試合にとどまり、浜中・吉野⇔平野・阿部健太の複数トレードで阪神に移籍。

阪神移籍後は藤本・関本とのポジション争いを制し、二塁手のレギュラーを確保。赤星とのネバネバ俊足1/2番コンビは話題を呼び、赤星出塁→平野セフティバント成功を何度も見せ相手にとって非常にいやらしいリードオフマンコンビであった。2010年にはリーグ二位、自己最高の.350を記録しベストナイン及びゴールデングラブ賞を受賞。しかし翌年は統一球の影響からか成績を落とし、同オフに西岡剛を獲得し、ポジションが危ぶまれたことからF/Aで古巣オリックスに復帰。

その後オリックスでも活躍するが度重なる怪我に悩まされ2015年に引退を表明。引退したばかりであったが、かつてのチームメートの金本監督就任に伴い、二軍守備走塁コーチとして阪神に復帰。二年目の2017年から一軍打撃コーチへ異動する。

打撃コーチに就任した昨年は、前年不振に陥った平野同様アベレージヒッタータイプの上本・大和・俊介が軒並みキャリアハイに近い成績を残し、鳥谷も復調した。アベレージタイプが平野の担当となっているのかは分からないが、同コーチの影響も大きいのではないかと思っている。やはり選手によって打撃スタイルというのは異なるのだから、金本・片岡が理想とする一つの打撃スタイルに拘り過ぎるのではなく、選手の指導に関し複数の引き出しを用意しておくというのは非常に重要だと思う。リーグ最強打線を誇る広島においても、去年の打撃コーチは石井、迎、東出といずれもアベレージタイプにも関わらず、長距離打者が育っている。自分たちの現役時代のボールとは異なる統一球になっているということをやはりチームとして認識し、柔軟な指導体制をチーム全体となって築いてほしいと思う。

ヘルメットを投げると退場になるので投げてはいけない。

 

#71 久慈照嘉

①右左 ②169cm/75kg ③49歳 ④2016年 ⑤延べ7年 ⑥東海大甲府-日本石油-阪神タイガース-中日ドラゴンズ-阪神タイガース ⑦1199試合 打率:.257 / 本塁打:6 / 打点:153 / 盗塁:51 / OPS:.650

平成の牛若丸。一軍内野守備走塁コーチ。1991年ドラフト2位で阪神に入団。堅実な遊撃守備でルーキーイヤーの開幕戦から先発出場し、暗黒時代唯一の優勝争いに貢献。同年新人王に選出される。一方で打撃は山田ほどではないが非力で、久慈-山田-投手と並ぶ7~9番は殆ど自動アウトであり、多くの主婦はその間に夕食の洗い物を済ませていた

大型遊撃手の今岡を獲得し、遊撃手として育てるという当時の方針により、1997年オフ関川・久慈⇔大豊・矢野の大型トレードで中日に移籍。当時中日は狭い名古屋球場から広い名古屋ドームに本拠地を移しており、守備・走塁の強化を目指していた中日から白羽の矢があたり同トレードが敢行され、1999年には二人の活躍もあり中日はリーグ優勝を果たす。一方の阪神はというと、野村監督を招聘したものの相変わらずの暗黒時代真っ只中で、矢野・大豊ともそこそこ活躍したものの、十分な成績とは言えず、多くのファンが失敗トレードだったと地団太を踏んだ。その後、矢野がリーグを代表する捕手にまで成長し、結果的に阪神の方が得をしたトレードだったということを学生だった自分に教えてあげても到底信じて貰えないだろう。

その後、アライバの台頭に伴い、出番が減り自由契約となったところで2003年に古巣阪神に復帰、主に守備固めで活躍するとともに、打撃面でも3割を記録し18年振りのリーグ優勝に貢献。2005年に引退。

2009年に一軍守備走塁コーチとして復帰し、一時チームを離れたものの、2016年から再び一軍内や守備走塁コーチを務めている。

現役時代は本当に素晴らしい守備を披露しており、肩こそ強くなかったものの守備範囲、グラブ裁き、送球への移行スピード、コントロールともに超一流。コーチとしては不動の遊撃手となった鳥谷の守備力向上にも大いに貢献したが、大和が移籍し鳥谷がコンバートされた今、ひょっとするとチームで一番遊撃守備がうまいのは久慈コーチなのではないか、というくらい遊撃手のポジションは逼迫している(泣)。

 

#87 中村豊

①右右 ②173cm/83kg ③45歳 ④2008年 ⑤10年 ⑥上宮-明治大 ⑦536試合 打率:.248 / 本塁打:8 / 打点:63 / 盗塁:12 / OPS:.649

一軍外野守備走塁コーチ。1995年ドラフト1位で日本ハムに入団。大学時代は首位打者・本塁打王・打点王を夫々獲得し、3拍子揃った大型外野手として期待されたが、日ハムでは目立った成績を残せず、2002年オフに下柳・中村豊⇔伊達・山田の複数トレードで阪神に移籍。

移籍年の2003年は主に外野守備固めで出場し、リーグ優勝に貢献。翌年は3試合の出場に留まり二軍コーチ就任の打診を受けたがこれを断り現役続行。そして2005年、やはり外野守備固めとしての出場がメインだったが、中日との優勝争いの真っ只中の9月7日のドラゴンズ戦で代走として出場し、本塁に生還したと思われたが、主審の橘高はアウトの宣告。これに対し岡田監督が猛抗議し一時はベンチに選手を全員引き揚げる事態となった(その前にもミスジャッジと思われる本塁クロスプレーがあった)。そのまま延長戦に突入し右翼の守備につくと、11回表に自身3年振りとなる決勝本塁打を放ち、チームは勝利。これを境に阪神は再び調子を上げ2年振りのリーグ優勝を果たす。この試合は岡田監督が一打サヨナラのピンチで就任以来初めてマウンドに行き、久保田に対し「むちゃくちゃほったれ」との名言をかけピンチを脱したなど、ファンにとって伝説の名試合でもあり、中村豊が唯一阪神で放った殊勲の本塁打は永く阪神ファンの間で語り継がれている。

2007年に引退すると翌2008年より二軍守備走塁コーチに就任。2009年に一度一軍打撃コーチに移動したが、2015年まで二軍守備コーチで二軍選手の外野守備及び走塁を鍛えてきた。のだが、同期間の外野手は林・桜井・伊藤隼・柴田・緒方・一二三と一向に守備難が解決せず、一軍コーチとなった2016年からも高山の守備が一向に改善しないなど、現役時代は堅実な外野守備でチームのピンチを何度も救ったが、二軍の外野手経験のない筒井コーチとともに、この人は本当に指導者としての素養があるのか疑わしくなってしまう。

昔は下手糞だったのにうまくなったなーというのは他球団では結構聞くことがあるのだが(福留なんかその例)、阪神では一向に聞こえてこない。。。センスの問題なのか指導の問題なのか素人のラ米の虎には分からないが、伊藤隼に関しては諦めたのでせめて高山とルーキーの島田に関しては立派に育ててあげて下さい(切実)。

 

最後に

本日もご覧頂きありがとうございました!

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