阪神タイガースブログ ラテンアメリカの虎

ラテンアメリカ某国在住、虎キチ歴35年。梅雨時期には来年のことを考え始める癖が抜けない弱気な阪神ファンのブログです

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阪神タイガース 選手名鑑2018 首脳陣編①

みなさまいつもご覧頂きありがとうございます。

キャンプも第4クールが始まりました。段々と今年のチームの骨格が見えてきましたが、まだ決まっていないところでいうと、野手では中堅手(中谷・高山・俊介)、遊撃手(西岡・北條・植田・糸原)、捕手(梅野・坂本・原口)、投手では藤浪・岩貞に目処がつけば6枚目の先発、そして7番手の中継ぎといったところですかね。中堅手は中谷、捕手は梅野が一歩リードという感じですが、遊撃手は本当に分かりませんね。

今までは、調整の意味合いが大きかったですが、これからは一軍へのサバイバルレースが始まることを監督も明言しています。各選手切磋琢磨しアピールを続けてほしいですね。

 

さて、本日は実戦もなかったので、選手名鑑の続きで首脳陣編第一弾です。

見方は以下のとおりです。

①投打 ②身長/体重 ③2018年満年齢 ④入団年 ⑤年数 ⑥経歴 ⑦通算成績

ちなみに、野手編をすべてまとめたものをトップメニューの選手名鑑にupしましたので、よろしければご覧ください!

www.latim-tiger.com

 

#6 金本知憲

①右左 ②180cm/88kg ③50歳 ④2016年 ⑤2年 ⑥広陵-東北福祉大-広島東洋カープ-阪神タイガース ⑦2578試合 打率:.285 / 本塁打:476 / 打点:1521 / 盗塁:167 / OPS:.885

いわずと知れた球界の鉄人、アニキ→ヤニキ→ヤネキ。日本記録二位の1,766連続試合出場、世界記録の904試合連続フルイニング出場の記録保持者。本人としてはこれらの記録よりも連続打席無併殺打記録を誇りに思っている。

1991年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。入団当初は線が細く、外野守備も地面に向かって投げてしまう悪癖から「モグラ殺し」のあだ名をつけられるなど、コーチからも足を生かした短距離打者への道を進められていたが、徹底した筋トレで体作りを行い、5ツールプレーヤーへの道を歩み始める。2000年にはトリプルスリーを達成し球界を代表する外野手へと成長、2002オフ半ば星野組長に脅されるような形で阪神にF/A移籍。

2003年は3番打者としてフルイニング出場し、二番赤星の盗塁をサポートする為にチームバッティングに徹し、成績こそ平凡だったが18年振りのリーグ優勝に貢献する。日本シリーズにおいてもサヨナラホームラン含む4本塁打と大活躍したが、日本一には届かなかった。

2004年からは岡田監督の方針で4番打者として起用され、翌2005年には金本-今岡のコンビで大量の打点を稼ぎ、チームを二年振りの優勝に導きMVPを獲得。その後も阪神の不動の四番打者として君臨するが、2010年に悲劇が起きる。キャンプ中に若手外野手と接触し、右肩の棘上筋部分断裂という重傷を負ってしまう。それでも出場を続けていたが、外野からまともな送球をできる状態になく、ついに連続フルイニング出場が途絶えてしまう

その後も代打も含め連続試合出場は続けていたが、翌年の2011年に代打で打席に立った際に、一塁走者が盗塁失敗しその後交代したことから、連続試合出場記録も途絶えてしまい、打撃にも衰えが見えたことから2012年に引退。

引退後は解説者を務めていたが、2005年以来優勝から遠ざかっており、F/Aや大リーグ帰りの選手に頼り若手が全く育たない硬直したチーム状況を打開すべく、白羽の矢が当たる。それまで指導者経験がなかったため、いきなりの一軍監督就任は固辞していたが、1/2年目が最下位になったとしても長期ビジョンで立て直してほしい」というフロントの説得により、監督就任要請を受諾。

甲子園を本拠地とする阪神においては、守備と投手からの整備が常套手段だが、生え抜きの主軸が長い間出ていない現状を鑑み主軸となる野手を育てるところから着手する。これはドラフト戦略にも現れており、2015年高山、2016年大山、当たりはしなかったが2017年清宮/安田と育ちにくい主軸候補を上位で指名し、采配においても、主軸となるポテンシャルのある北條・高山・原口・中谷・大山・江越・陽川・板山などを積極起用し、徐々に芽を出し始めつつある。一方で、長打を求めるばかり鳥谷の打撃を崩したり、体力強化を義務化し筋肉をつけすぎた北條・高山・原口が不振に陥ったりと、野手育成に自分の経験を当てはめるのはいいが、片岡コーチとともに軸回転の強いスイングにこだわりすぎ指導方針の柔軟性に欠ける面も見られた。

投手に関しては慧眼があり、自分が打ちにくかった、打ちにくそうという理由で、青柳の指名、前年一軍未登板の桑原を起用をするなど、投手コーチやスカウトをやってもらったほうがいいんじゃないかというくらい見る目がある。

采配面に関しては、就任初年度はマテオを序盤から3イニング跨ぎさせたり、藤浪を懲罰で150球も投げさせたりと、特に継投策を中心に疑問が残る采配が多かったが、二年目になりコーチ陣とともにそれも改善しつつある

1年目はなんでもかんでも若手を試し、全く安定しない戦いぶりではあったが、長期ビジョンでチーム作りを任された外様の金本監督だからできた采配であり、その効果は徐々に芽を出しつつある。また生え抜きOBが就任していたら実績のある選手や外国人の復調を待つだけで、いつまで経っても若い選手は出てこずF/Aと外国人に頼りきりの体制から抜け出せていなかっただろう。

阪神という球団はいつまでたってもフロントやOBの声が大きい昭和体質の球団で、過去のOB監督だとそれらの声に忖度してると思われても仕方のない選手起用や采配も多く、野村監督、星野監督といい、実績十分の外様の人材じゃないと環境は変えられないのは、日本企業の悪しき文化を象徴しているように思える。DeNA、ソフトバンク、楽天等、比較的新興企業のフロントが最新のアイデアをどんどん取り入れ上位進出しているように、チーム作りを金本監督に全権委任したのは過渡期における英断だったと評価するが、いずれはフロントにも時代の志士のような人物に出てきてほしいものである。

3年目の今年はそろそろ勝負の年となるが、中継ぎ以外はレギュラー陣が固まっておらず流動的な采配が続くことが予想される。若手選手も力をつけ始めてきており安定した実力の中堅・ベテランと、爆発するポテンシャルをもつ若手をいかにうまく起用するかが浮沈を握っており、難しいチームでの難しい采配となるが、オフには13年振りの美酒を味合わせてほしい。

移籍当初は「アニキ」の愛称で親しまれたが実は4人兄弟の末っ子。その愛称もベンチ裏でタバコをふかしていたことから「ヤニキ」、そして監督就任後はインタビュー時に「~だわね」「~よね」と字面をとるとオネエ言葉にも聞こえる発言をするため「ヤネキ」と、ネット上ではありがたくない方向にあだ名が改変されている。

 

#80 片岡篤史

①右左 ②188cm/92kg ③49歳 ④2016年 ⑤延べ4年 ⑥PL学園-同志社-日本ハムファイターズ-阪神タイガース ⑦1569試合 打率:.270 / 本塁打:164 / 打点:717 / 盗塁:35 / OPS:.789

実家は檜風呂ヘッドコーチ兼打撃コーチ。1991年ドラフト二位で日ハムに入団すると、広角に打てる巧みな打撃、選球眼と堅実な三塁守備で一年目から活躍、90年代日ハムビック版打線の中軸を担う。

2001年オフにはF/A宣言し、足尾銅山鉱毒事件の田中正造かのようにファンに土下座で阪神移籍を陳情され、阪神への移籍を決意。クリーンアップとしての活躍が期待されたが移籍1年目はセ・リーグの配球に苦しみ.228に終わり、山沖、石嶺、星野と結果を残せなかったF/A移籍選手の仲間入りを果たし、阪神にF/A移籍するのはもう落ち目の選手ばかり、いい選手は全部巨人に持ってかれちゃうんだなと、何度も思い知らされた暗黒時代の闇の深さを再度思い知らされる結果となった(涙)。

移籍二年目の2003年は金本の加入や浜中の成長に伴いマークが薄くなったことと、セ・リーグの配球にも慣れ、主に6番三塁で出場し規定打席には届かなかったものの打率.29612本塁打、55打点と優勝に大きく貢献した。その後は衰えによる不振及び、今岡の三塁コンバート、関本の台頭などにより出場機会は激減し代打での起用がメインとなる。2005年は代打で6打席連続安打を放つなど2年振りの優勝にまあまあ貢献、2006年に体力の限界もあり引退する。代打の切り札と呼べるほどの結果は残しておらず、判で押したような岡田監督の采配で何度も終盤のチャンスに出てきては凡退し、出てくるたびに次の打者のことを考えるのが癖になってしまっていた(涙)。

現役引退後は解説者を経て、2010年に一軍打撃コーチとして復帰。同年はラビットボールだったことに加え、マートン-平野-鳥谷-新井-ブラゼル-城島-金本という超重量打線だったもあり、チーム打率.289の球団記録を達成。しかしながら、2011年からくそ加藤球の低反発球が採用されると、懐に呼び込んで打つタイプのホームラン打者は軒並み成績を落とし、チーム打率はリーグ4位、本塁打は最下位と低迷し、責任をとって辞任した。加藤球の影響で小笠原、岩村、小久保などの長距離打者が軒並み成績を落とし、引退にまで追い込まれる遠因となり、その罪は重い。

2016年は野球観が似ているという金本監督のたっての願いで、4年ぶりに現場復帰、一軍打撃コーチを務める。大山のクリーンアップ起用の進言など、金本監督が「片岡コーチの助言です」とする場面も多く、選手の調子の見極めに関しては見る目があるのかもしれないが、打撃指導や試合中の相手投手対策に関しては正直疑問。他の方のブログにても語られているが、2014年以降の統一球はトップを深く取り大きく振るよりもコンパクトに芯に当て振りぬくことが重要であり、若手長距離打者候補に大きく軸回転で遠くに飛ばす指導をしているさまを見ると、統一球対策ができていないのではないかと素人ながら感じてしまう。特に高山の去年のバッティングフォームが晩年の片岡のようになってしまっているように見えるのは自分だけだろうか。

今シーズンからは打撃コーチに加えヘッドコーチの役割も果たすが、打撃指導で結果がでないようであれば、新たに打撃コーチを招聘し、金本監督も信頼をおいているヘッドコーチの役割に集中してほしく思う。

2003年ファンファーレの「右投げ左打ち、実家は檜風呂、リフォーム、リフォーム、片岡篤史」は球場を大いに盛り上げたが、実は実家は檜風呂ではないらしく、本人の「打席で気になるので止めてほしい」と直訴により廃止となった。毎日数万人にプライベートな風呂に関して歌われるのは、世界広しといえど片岡くらいであり、打席で集中できなくなる気持ちもわかるが、廃止以降成績がガタ落ちしたことから、続けていたほうがよかったのかもしれない。

 

#70 高代延博

①右右 ②170cm/73kg ③64歳 ④2014年 ⑤4年 ⑥智弁学園-法政大-東芝-日本ハムファイターズ-広島カープ ⑦917試合 打率:.256 / 本塁打:57 / 打点:346 / 盗塁:54 / OPS:.680

トラの信号機作戦兼総合コーチ。1978年ドラフト1位で入団すると、一年目から遊撃手のレギュラーに定着し、堅実な守備で1980年にはゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞。田中幸雄の台頭により出番が減ると、広島カープに移籍し、1989年に引退。

引退後は、広島→中日→日ハム→ロッテ→韓国ハンファ→オリックスと渡り鳥のように主に内野守備走塁コーチとして数々の球団を経験し、第二回WBCでは日本代表の三塁ベースコーチを担当し、日本代表の連覇に貢献。2014年から阪神に移籍し、内野守備走塁コーチ及び三塁ベースコーチに就任。

現役時代はあまり知らないのだが、三塁ベースコーチとしての打球への判断に定評があり、ノムさんをして日本一の三塁ベースコーチと言わしめる。金本監督からも広島時代に守備走塁を根気よく教えてくれたコーチとして、「自分に大きな影響を与えてくれた指導者の3人」のうちの1人に数えられる。

それまで阪神の三塁ベースコーチといえば、山脇や吉竹など「壊れた信号機」と揶揄される判断の悪いコーチが多く、何度も得点のチャンスを潰すシーンを見てきたが、高代コーチの判断は正確そのもの。直接得点に結びつくポジションだけに、同コーチの存在は大きい。

非常に大きな貢献をしてくれている高代コーチなのだがもう64歳になる。久慈でも藤本でも中村豊でもよいが、ぜひそのノウハウを引き継いでほしいし、フロントとしても指導者の世代交代も計画性をもって進めてほしい

スターウォーズのイウォークのような風貌と、オーバーリアクションの走塁指示は微笑ましいレベルでもあり、正確な走塁指示とともにファンからの信頼は非常に厚い。

 

#78 平田勝男

①右右 ②177cm/78kg ③58歳 ④2013年 ⑤延べ18年 ⑥海星-明治大-阪神タイガース ⑦979試合 打率:.258 / 本塁打:23 / 打点:220 / 盗塁:19 / OPS:.635

ミッキーチーフ兼守備走塁コーチ。1981年ドラフト2位で入団。二年目の後半から遊撃手としてレギュラー定着すると、80年代阪神の不動の遊撃手として1985年には21年振りのリーグ優勝及び初の日本一に貢献。足こそなかったものの、堅実な遊撃守備で1984年から87年までダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を受賞し、守備の名手として名を連ねた。

引退後は2年間の評論家活動をしていたが、1997年にコーチとして現場復帰。2002年には明大の先輩である星野監督の専属広報及び運転手として就任。当時の首脳陣は田淵・達川・佐藤義・西本・岡田・和田、等々誰が監督をやってもおかしくない豪華メンバーだったので、コーチングスタッフからは外れたものの、面倒見のよい星野監督の粋な計らいだったのかもしれない。それにしても運転手って・・・。

2004年からはコーチに復帰し一時現場を離れるものの、生涯を通じ阪神のコーチを務めている。吉田→野村→星野→岡田→真弓→和田→金本とOB/外様とタイプの違う監督が就任しているにも拘らず、常に重宝されるのは本人の人徳の致すところなのだろう

明るく外交的な性格からチームのムードメーカーであり、親父ギャグも多い。OBや熱狂的ファン・マスコミからの無用なプレッシャーもあり、あまりはっちゃけると叩かれてしまい暗い雰囲気にならざるを得ないの阪神ベンチにおいて、貴重な存在。若い頃はミッキーマウスに似ているという理由であだ名がミッキーになったが、さほど似ているだろうか?

今シーズンはチーフコーチとなるが、片岡ヘッドコーチ、高代作戦兼総合コーチとのデマケがよく分からず、キャンプ中のインタビューとかにはよく出てくるが、シーズン中野球面でなにかコメントしているところは余り見たことがない。ベンチを盛り上げる以外一体全体何を担当しているのだろうか?

 

#90 香田勲男

①右左 ②177cm/78kg ③52歳 ④2015年 ⑤4年 ⑥佐世保工業-読売ジャイアンツ-近鉄バファローズ ⑦350試合67勝54敗11S / 防御率: 3.82

一軍投手コーチ。1983年ドラフト2位で巨人に入団。主に先発として活躍し、1989年には日本シリーズで完封勝利、1990年には自身初の規定投球回到達し11勝を挙げる。1994年シーズンオフに阿波野とのトレードで近鉄に移籍し、先発中継ぎとしてそこそこの活躍をし2001年に中継ぎとして近鉄の優勝に貢献しつつも、現役引退。

引退後は近鉄、巨人の一軍・二軍コーチを務め、巨人二軍コーチ時代は内海や山口を育て上げた。2012年からは韓国の斗山ベアーズでもコーチ経験を積み、非常に経験豊富。2015年から阪神の二軍コーチに就任すると、岩貞の投球フォームを改造し育成に成功、育成面では非常に頼れる投手コーチ。

2016年からは金本政権の下、一軍投手コーチを務めるが、マテオ3イニング跨ぎ、藤浪150球懲罰登板をはじめとし、継投策にも疑問が残ることが多く、育成に定評があったのに、継投策に定評のあった中西を解任してまで一軍にあげるべきだったかと、スタッフ編成に疑問が残った。まあ、実は予定していた大野や下柳に断られてしまったというのも大きいだろう。

2017年は昨年の反省からか、継投策もある程度納得のいくものになり、金村ブルペンコーチとともに中継ぎ陣の徹底した球数管理を行ったことにより、史上初の中継ぎ60試合登板クインテットを誕生させた。一方で、先発投手陣は不調の岩貞・藤浪を復調させることができず、秋山がでてきたからよかったようなものの、メッセの怪我もあり先発投手陣は崩壊寸前まで追い込まれた

金本監督が投手陣に関しては素人と自分で言っているとおり、先発投手陣の建て直し及び昨年投げさせすぎた中継ぎ陣の整備は香田コーチの双肩にかかっている。特に藤浪の復活なしにしては優勝争いなど到底遠いところになってしまうので、どうにか一本立ちさせてほしい。

それにしても、香田の現役時代を知るラ米のトラとしては、巨人で活躍した選手が阪神のコーチになるというのは、湯舟や川尻が巨人のコーチをやっているような感じで、いまだに違和感が取れない。

 

最後に

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